地名を歩く

日本、特に埼玉県の地名等について書いています。

八国山

八国山は東京都東村山市と埼玉県所沢市の境目にある山で、自然豊かな武蔵野の面影を残しています。しかし、一部では宅地開発が進んでいてその面影があまり感じられないところもあります。

では、宅地開発以前はどのような所だったのでしょうか、いくつか資料をもとにして感じてみましょう。

まず、『新編武蔵風土記稿』を見てみましょう。

「山ノ高サ十丈余 山上ヨリ眺望スレハ駿河甲斐伊豆相模常陸上野下野信濃八国ノ山々見ユル故ニ此名アリト云 サレト今ハ樹木繁茂シテ眺望ヲサヽユル故名ニ聞ヘシホトノ景色トモ覚ヘス」

「塚上ニ纔ノ平地アリテ浅間ノ小社アリ」

(『新編武蔵風土記稿』より抜粋、漢字は新字体へ書き直しました)

 八国山は高さが十丈(約30m)ほどで、駿河、甲斐、伊豆...等の八つの国が見えたので八国山と言われるが、この当時は樹木が繁茂してそれほどの景色ではなかったようです。そして、将軍塚の上には浅間社があったようです。

 このように、木々の所為で景色がそれほどではなかった、ということは『入間郡誌』にも書かれています。

「今は雑木繁茂し、人の訪ふもの稀也。」

「山上雑木の間仔細に之を検する時は、高さ二丈許の一の古塚あるを知る。幼松七八本塚上に生ひ、草木周囲に茂て、やゝもすれば之を見落さんとす。」

(『入間郡誌』より抜粋、漢字は新字体へ書き直しました)

この当時は、訪れる人が稀なほど雑木が繁茂していたようです。そして、場合によっては将軍塚を見落としそうなほどだったようです。

 ここまでで、八国山の様子は何となく分かりました。では、八国山の周辺はどのような感じだったのでしょう。

農研機構農業環境変動研究センターの歴史的農業環境閲覧システムを見てみましょう。

 

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出典:農研機構農業環境変動研究センター

これを見てみると、現在住宅地となっている所はもとは水田だったことが分かります。(これは「大谷たんぼ」と呼ばれていたようです。)

以上のことを箇条書きにまとめると次の通りです。

  • 八国山の中は景色が見づらくなるほど雑木が繁茂していた。
  • 将軍塚の上には浅間社があった。
  • 埼玉県側の住宅地には田んぼがあった。

今度、これらと比較しながら八国山やその周辺を散歩してみたいと思います。

参考資料

 『新編武蔵風土記稿』

dl.ndl.go.jp

入間郡誌』

dl.ndl.go.jp

農研機構農業環境変動研究センター

habs.dc.affrc.go.jp