地名を歩く

日本、特に埼玉県の地名等について書いています。

現国立市の幾つかの地名の由来について

本ブログでは、国立市の幾つかの地名について、その由来の私考を書こうと思う。国立市を撰んだことについては、特に意味はない。また、今後新たに地名を付け加えることもあるかもしれないので、注意してほしい。

谷保

 谷保という地名については幾つか説がある。しかし、私はこの地名についても地形由来の地名と考えている。「ヤ」については、地形を考えても谷地や谷戸を意味するものと考えられる。さて、問題は「ボ」であるが、これは窪地や湿地を意味するもので、原義は女陰であると考えられる。これは、女陰を意味する幾つかの語の比較と(※1)、女陰を意味する語が窪地や湿地を意味する地名要素として使われている例が複数あることによる(※2)。

※1

クボ,コンボ,ブンブ,ボボ,べべ,へへ,ママ,メメコ,ベンチョ,ビイ etc.が女陰を意味する。

※2

ホト:「保土ケ谷」,「程久保」etc.

クボ:「久保」,「窪」etc.

ママ:「欠真間」,「ママ下」etc. 

みのした

 「シタ」は下(方角的な下、地形的な下)の意で良いだろう。問題は「ミノ」が何かであるが、これは音韻対応を考えれば「ミネ」(峰)の上代東国方言形だと考えられる(※3)。峰というと、国立周辺にそんな高い山は無いと思う人もいるかもしれないが、このミネは立川崖線などを意味するものと思われる。立川崖線などの所謂ハケの地形は、下側から見ると高くなっていて、これをミネと言ったものと思われる。実際、国立市内では崖線近くに上峰下,中峰下,下峰下,峰上,峰西などの小字が存在している。

※3

Wikipedia「日琉祖語の母音連続の語末での対応」『日琉祖語』

Wikipedia「被覆・露出形の起源」『日琉祖語』

メメダ

 「メメ」は、谷保の「ボ」と同様、原義は女陰で、湿地や窪地などを意味するものと思われる(※4)。また、女陰を意味する語に「メメコ」などもある。「ダ」はよくわからないが、現国立市域の南部などには水田が多いので、田と解釈できる。

※4

cf.「谷保」の項。

諏訪面

 「スワ」は、諏訪神社によるものと考えて良いだろう。「メン」は、面したところとかではなく、恐らく免で、"諏訪免"と解釈できると思われる、即ち諏訪神社の除地の意と考えることができるということである。これは、延宝年間の谷保村の検地帳に小名「すわ免」が見えることなどから、このように考えられる。

 

日本国語大辞典』(JK)

『日本方言大辞典』(JK)

『くにたちしらべ』https://www.library-kunitachi.jp/content/s06_area.html

所沢市の地名の由来について

 所沢市の地名の由来は、旧入間郡所沢村であることは間違いない事実だが、この「所沢」は一体どこから来たのだろうか。本ブログではその由来について私考を書くことにする。

 

I.今までの「所沢」の地名の由来の説

 よく紹介される所沢の地名の由来では以下の3つが挙げられる:

芋の野老(恐らくDioscorea japonica)のある沢の意。

盆地の形容から「フトコロ沢」が変化したもの。

アイヌ語で「沼のある川」を意味する「ト・オロ・ベツ」(恐らくto oro pet)が変化したもの。

 この内、特によく紹介されるのが一つ目の説でこれは道興准后の『廻国雑記』が元になっているらしい。では、その部分を以下に示す。

 ところ沢といへるところへ遊覧にまかりけるに福泉という山伏、観音寺にてささえをとり出しけるに、薯蕷といへる物さかなに有けるを見て、俳諧

 野遊のさかなに山のいもそへてほりもとめたる野老沢かな

『廻国雑記』(旧字体などは新字体へ)

 これだけを眺めていても、所沢の由来は分からないし、埼玉県の「所沢」市だけを見ていても無意味なので、関東以東のトコロザワ地名の地形について見てみることにする。

II.関東以東のトコロザワ地名とその地形(図)

 所沢が日本にここにしかないとか、東日本にはここしかないとかならば別であるが、調べると関東以東では結構あるので、埼玉県「所沢」市の地形などだけを観察しても無意味に思えるので、他のトコロザワ地名の地形についてもあわせて見ることにする。

 また、以下の図の内、埼玉県所沢市についてはかつて野老沢とは現在の所沢市元町付近を指したということなので(『ところざわ歴史物語 増補改訂版』)、その部分の図を載せた。また、国土地理院陰影起伏図とともに載せてある地図については、私が発見できた、より古い地図を採用した。

地名 陰影起伏図(国土地理院 地図
所沢市元町(旧野老沢)


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農研機構農業環境変動研究センターより作成

気仙沼市字所沢


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今昔マップ on the webより作成

伊達郡川俣町字所沢


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国土地理院より作成

秩父市大野原 所沢


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今昔マップ on the webより作成

伊達市保原町所沢


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国土地理院より作成

白井市木字所沢


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今昔マップ on the webより作成

猪苗代町字野老沢


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国土地理院より作成

     

 

 これらを観察すると、次の様な共通特徴を有するものが多いことに気付く。

  1. その規模や大小、深浅には(時に大きな)差があるが、低くなっている様に見え、その差は周囲に山(武蔵野で云うヤマではなく、Mountainに近い意)があるか、あるいは山の多いところに位置しているかによる。
  2. 付近には、水田や畑がある。
  3. 河川が地内もしくは、付近を流れており、1.でいう低地はその河川による小平地、小盆地であることもある。

 これらの特徴をあわせて、トコロザワ地名の由来について考えることにする。トコロザワ地名は上に示した様な特徴をもつ場所につけられる地名だとしても良いのかもしれないが、一応由来についても考えておく。

III.トコロザワの由来

トコロザワという地名がいつから使われ始めたのか、などは分からないので、甲乙やアクセントなどは分からないが、とりあえずザワ(サワ)が谷などを意味する沢から来たことは恐らく間違いない。これは地形などを見ても分かるであろう。多いとか沢山とかいう意味もあるが、微妙である。以降では、「沢」とは谷とかそういう意味であるとし、この意味については検討しない(「沢」をこの意味以外で解釈しようとしている説を見たことがない)。

1.フトコロ沢説

 フトコロというと、河川による小盆地や、山の懐などを意味するものであると考えてよい。この場合、相対的に低くなっていたり、窪になっていたりするので地形を考えてもさほどおかしくはない。そうすると、「フトコロ」が何らかの音変化を経て「トコロ」になるのがおかしいか、おかしくないかという問題に当たる。これは、所沢弁、秩父弁、福島弁などを眺めておかしくないのではないかと思ったが、そこまでおかしくないのではないかと思う(後に改めて検討し別のブログで出さないといけない)。また、私の調べた限りでは「フトコロサワ」や「フトコロザワ」といった地名は現存していない、或いは最近(戦後直後程度)まで残っていたということはないようである。

2.アイヌ語

 「沼を持つ川」という地形の特徴はトコロザワの地形の特徴からは大きく外れずおかしくはない。しかしながら、「to oro pet?」がどうトコロザワに変化したのだろうか。「pet」は「沢」と意味が似ているが、「to oro?」だけがそのままで、petだけが日本語になるとかいうことが起こるのか。或いは、アイヌ語地名に後から日本語である「沢」が附加せられるということが起きうるのか。ここについてはもう少し他の地名を観察しなければならない。少なくとも今の段階では、この説を妥当とはできないと思う。

3.Dioscorea japonica説

 これについては、Dioscorea japonicaがどの様な所に自生するのかを考える必要があると思う。栽培されていた可能性については、Dioscorea japonicaが人の手で盛んに栽培されるようになったのはかなり最近のことらしいので考えなくても良いと思うので、考えていない。このDioscorea japonicaは自生するものは山野に育ち、地面に直射日光の当らない北斜面を好むという。また、赤土は栽培の場合良いらしいので、自生の場合でも赤土を好むかもしれない。また、河川沿いの土手などにもよく生えるということで、Dioscorea japonicaの自生できる環境にはあると思われる(これについても改めて検討して別のブログで出したい)。

IV.最後に

 結局、上で挙げた中では、Dioscorea japonica説が現時点では妥当ではないかと思う。しかし、『廻国雑記』に「野老沢」の表記があるから、というのは無理があると思う。アイヌ語説は変化の仕方がよくわからないし、フトコロ沢説については、現存する「フトコロサワ」という地名が見つけられなかったし、そして他のフトコロ地名、トコロ地名の箇所についても見てみなければならない。しかし、特にフトコロ沢説についてはまだ検討の余地が大いにあるので、そのうち別のブログにて再考を出したいと思う。また、民間語源の可能性についてももう少し考えなければならない。

V.参考文献

所沢市史 地誌』

『ところざわ歴史物語 増補改訂版』

日本国語大辞典』(JK)

『ところざわ方言録』

『日本歴史地名大系』

地理院地図」

「今昔マップ on the web」

「農研機構農業環境変動研究センター」

ヤマノイモ - Wikipedia

私の書いているサイトなどの一覧

 こんにちは、随分長いこと更新していませんでした。現在「所沢」の地名の由来についてまとめているので、もう少し待っていてください。

 さて、本ブログでは私の書いているサイトなどについて一覧にしてまとめようと思います。

 

検地帳などに見える小名

sites.google.com

このサイトでは、検地帳などに見える小名を年ごとにまとめています。まだ収録数は多くないですが随時更新していきます。

 

『日本地名盡』地名収集フォーム

t.co

私の書いている地名辞典『日本地名盡』に載せる地名は自分でも調べてますが、一人だと限界もあるので是非こちらの方から知っている地名など送って下さい。

昔の狭山丘陵の動物を考える

 

I.背景

 狭山丘陵、及びその周辺の小字や小地名を眺めていると動物の名前が入るものがいくつか見つかる。これらは、全てが単にその周辺にその生物がしばしば出没したりしたわけではないだろう。例えば、その動物に形が似ている岩や池があったとか、その動物に対するもしくは関連する信仰による地名であるとか、あるいはただの当て字でその動物とは一切の関係がないとかである。しかし、地名要素として入っている動物名もある程度その土地に生息していた動物の推測などの参考になるのではないかと考えた。そして、本Blogを書くに至った。また、ここで考える動物は哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類に限らせてもらった。

 

II.狭山丘陵について

 狭山丘陵は埼玉県所沢市入間市、東京都東村山市東大和市武蔵村山市西多摩郡瑞穂町に跨る丘陵で、古くは単に「狭山」と呼ばれていたであろうことが『武蔵野話』などから分かる。現在生息している生物は2019年6月~2020年7月の所沢市の調査によれば、指標動物のうち、アズマモグラ、アブラコウモリ、キュウシュウノウサギ、ホンドタヌキ、ホンドキツネ、ホンドイタチ、キジ、カルガモコガモアオサギ、ツミ、オオタカカワセミコゲラアオゲラ、モズ、オナガヤマガラシジュウカラ、ツバメ、ウグイス、エナガメジロオオヨシキリツグミジョウビタキキビタキハクセキレイホオジロ、ヒガシニホントカゲニホンカナヘビ、アオダイショウ、シマヘビ、ヒバカリ、ヤマカガシ、トウキョウサンショウウオ、アズマヒキガエルニホンアカガエルヤマアカガエルシュレーゲルアオガエルが確認されている。この他にも、スズメ、カラス、シジュウカラなどを散歩をするとよく見かける。また、古くから人間はこの丘陵にあるヤトなどの豊かな自然環境を利用していたらしく、縄文時代、及びそれ以前の遺跡では、前久保峰遺跡、日向遺跡、比良遺跡、東向大谷遺跡、甚木峯遺跡、山王入遺跡、鹿島台遺跡、八幡谷戸遺跡、下宅部遺跡など多くの遺跡が見つかっている。

 

III.狭山丘陵、及びその周辺の地名のうち動物名の入るもの

 では、早速狭山丘陵、及びその周辺の地名の内を動物名の含まれるものを探す。実際にそのような地名をリストアップすると以下のようになる(恐らく抜けている地名が余裕であるので、含まれていないものがあれば教えてください)。また、ここから先は随時更新する。

所沢市

鳩峯 猿久保 貉入谷 鳶峯 狢入 鶴舞 猪ノ田 狐峯 馬場 おいぬ塚

東大和市

鼠沢 狼久保池 狼久保大池 ねずみ沢池 とんび谷

武蔵村山市

猿久保 馬場 

 

IV.結局、何の動物が生息していたのだろうか

 無論、今となっては過去の狭山丘陵の動物たちを観察することもできないし、こうだと断言することはできないことには注意しほしい。

 まず、「狭山丘陵について」で挙げたような在来種たちは昔からいたとしてもおかしくはないと思われる。次に、今は生息していない動物について考える。この動物について地名に見える動物はサル、イノシシ、ツル、ウマ、オオカミである。このうち、ツル(鶴舞から)、ウマ(馬場などから)については、恐らく鳥のツルではなく、河川のツルから来たとしたほうが妥当ではないかと思われる。また、ウマも野生のウマがいたのではなく、馬場があったのだろうと考えられる。では、イノシシ、サル、オオカミについてはどうだろうか。オオカミについては、昔話に「藤兵衛さんと狼」というものがあるので、これは実際にいたのかもしれない。また、イノシシやサルについてもいたとしてもさほどおかしくはなかろう。

 

V.参考文献

東大和市-遺跡一覧

www.syougai.metro.tokyo.lg.jp

 

生物多様性ところざわ戦略

https://www.city.tokorozawa.saitama.jp

 

所沢市大字「牛沼」について

こんにちは、皆様は所沢市の大字「牛沼」をご存知でしょうか。スタジオジブリによるアニメーション映画『となりのトトロ』でもその地名が見えるカットがありご存知の方も多いかもしれません。今回はこの「牛沼」の由来について適当に書こうと思います。

 

まず、所沢市大字牛沼(旧入間郡牛沼村)の由来をいくつかの資料から見てみることにする。:

「本村を貫流する谷戸川(東川とも云う)に沿い、臥牛に似た沼があったので、この地名が起ったとされている。」(『所沢市史』)

「堂の下に沼あり。形臥牛に似たるを以て牛沼の名称起れりと云ふ。」(『入間郡誌』)

『新編武蔵風土記稿』に牛沼村についての記述がないのが残念ではあるが、どちらも牛に似た形の沼があったことに由来するとしています。更に『ところざわ歴史物語 増補改訂版』によれば、「村郷土史」でも同様の説が紹介されているようです。しかし、実際これは漢字を見れば確かに首を縦に振ることが出来てしまうかもしれませんが、やや危険な気もします。なので、本ブログでは他にはどの様なものが考えられるか、というかどのような説を勝手に考えたのか書きたいと思います。

 まず、「牛沼」の表記についてですが、これは『御鷹場絵図』には「漆ノ間村」という記載があるようです。この名称が古くは広く呼ばれていたとは限りませんが、もしそうだったのであれば、牛の形をした沼から出たわけではないかもしれません。ここで、「漆」(ウルシ)について考えると「潤し」に通じ湿地を意味するという風に考えられるかもしれませんし、また「ノ間」については単に場所とかを表す因子としても問題はないと思います。即ち、「牛沼(漆ノ間)」は湿地の意ということです。

 

しかしながら、ここで私が述べたものは先日自分で思いついただけのものに過ぎず、「なるほど、そうだったのか」等と考えるのはあまりにも安易なのであまりおすすめしません。色々な説や歴史、地理などとにらめっこしながら考えてみると面白いかもしれません。

 

参考文献

所沢市史 地誌』

『ところざわ歴史物語 増補改訂版』

入間郡誌』

所沢市立所沢図書館 レファレンスサービス」

 

何故地名辞典を書くのか

こんにちは、さとしんです。私は普段はこのブログで色々な地名だとかを調べたり、見に行ったりして、その地名や場所について適当に書いているのだが、今回は少し主旨を変えて私が趣味で書いている地名辞典について述べようかと思う。

まず私の書いている地名辞典では、小字や通称地名は勿論各検地帳などに見える地名もできるだけ収録するものである。しかしながら、そのために旧大字、町村によって分類がなされているところが欠点ではあるが、できれば編入等によって現在はどの大字・町に当たるかを書きたい。また参考までに、一応どの様な感じになっているのか、2021年2月28日現在の辞典の一部分を貼り付けておく。

 

では本題、何故辞典を書くのか、について述べていくことにする。まず、読者も何となく予想はつくかもしれないが、まず私がただ単に小字とか小地名とか小名とかが好きであるというのは大きいであろう。しかし、それ以外にも大きな理由がある、それは土砂災害、洪水、液状化、陥没など様々な災害リスクがある日本のなかで、どのような災害リスクがあるのか参考にしてほしいのである。特に小地名には「ビャク」とか「蛇崩」とかあからさまな災害地名の他、「田」や「清水」、「川」など現在では洪水、液状化などのリスクをはかれるかもしれない要素などもある。私はこの辞典を通して、自分たちの住んでいる地域はかつてどの様な場所だったのかを予想する参考にして、災害対策などに役立てられたらと思っている。

各大字の小字の語尾で最も多いものー所沢篇ー

地名の語尾はその場所の地形などを表していることがしばしばあるという記事をどこかInternet上で見た覚えがある。どこで見たのか全く覚えていないが疵なのだが、取り敢えずその事はおいておく。それで、なら各大字の小字の語尾のうち最も多いものはその大字の地形や(特に嘗ての)利用などが多少なりとも分かるのではないかと思った。そこで、私は所沢市の各大字における小字を総て調べて最も多い語尾を地図上に置いてみることにした。また、勿論最も多いものが一つに決まらないものも出てくる、その場合はそれらのうちから一つ無作為に選び青字で示し、地図下に他に如何なるものがあったのかを明らかにしておく。

次の図はその地図である。


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青字の他のもの:

道; {前、原、谷、野}

谷; {原}

光; {原、寿、里、玉、倉、向}

甲; {乙}

原; {前、号}

下; {道}

前; {原、戸}

 

ここで、台地面とか丘陵地とかいうのは ジオテック株式会社(http://www.jiban.co.jp/tips/kihon/ground/municipality/saitama/tokorozawa/P11_tokorozawa.htm)を元に描き込んだ。

これを見ると丘陵地では「峯」、「谷」、「戸」(=谷戸に通ずだろう)がよく見えるし、高低差のあまりない所では「原」などが見える。更に「砂」は河川近くに見え、確かにその場所の地形を表していそうだし、その大字で最も多いものを代表として取ってきてもある程度その場所の地形や災害リスクなども表し得るかもしれない。そして所沢市に拘わらず同様のことを表し得るのか気になったので、他の市区町村でも同様の検証をしてみようと思った。なので、定期的にこのような記事を書こうと思う。

 

参考文献

所沢市史編さん委員会 1980、『所沢市史 地誌』pp.47-104

ジオテック株式会社、「所沢市の地盤」、http://www.jiban.co.jp/tips/kihon/ground/municipality/saitama/tokorozawa/P11_tokorozawa.htm

www.jiban.co.jp