諏訪畑
諏訪畑は旧久米村(現所沢市大字久米)の小地名で、『所沢市史 地誌』には次の様に書かれています。
◯諏訪畑〔同右〕=長久寺の南東方で、勢揃橋と二瀬橋の間にある「さと橋」付近。狭山の栞によると諏訪神社は明治初年に八幡神社の境内に移された。
どうやら、勢揃橋と二瀬橋の間にある「さと橋」なる橋の辺りを言ったようです。しかし、恥ずかしながら私はこの
勢揃橋と二瀬橋の場所は幸いにも既に知っていたのでそのおよそ真ん中ぐらいで「橋」とGoogle mapで検索してみました。(下リンク)
すると、ちょうど勢揃橋と二瀬橋の間で柳瀬川に架かっている「里橋」という橋が見えます。恐らくこれが『所沢市史 地誌』に見える
今の里橋付近に直接「畑」や「桑」などの記載はありませんが、他の地点の「桑」と書かれているところと同様の色の範囲があるのでもしかしたら桑畑などがあったのかもしれません。しかし、いずれにせよ大体の位置は推測できました。
しかし、『所沢市史 地誌』にはもう一つ(少なくとも私が)気になることが書かれています。それは「諏訪神社は明治初年に八幡神社の境内に移された。」というところです。これは即ち今の里橋付近には諏訪神社が建っていたということです。しかしながら、農研機構農業環境変動研究センターの『迅速測図』(上図)にも「諏訪社」などの記載は一切ありません。つまり、この頃には既に八幡神社の境内に移されていた可能性があります。なので、今その名残や痕跡が残っている可能性は低いですがちょっとそのあたりを見て痕跡などがあるか探してみることにしました。
しかし、マスクを着用しその周辺を歩いてみましたが痕跡などは全く分からなく、Google map等で眺めてみてもなにも分かりませんでした。💧何か知っている方は教えて下さい。
以上のことを簡潔にまとめます。
これからも、これ以外にも古い地名や小地名についても調べていきたいと思います。
参考文献
『所沢市史 地誌』
Google map
歴史的農業環境閲覧システム